医療法人社団 福寿会について

About Us

千葉県千葉市蘇我にある、医療法人社団福寿会は「鷲見医院」、「スミメディカルケアホーム」、「訪問介護ひまわり」、「デイサービスひまわり」を併設し、各施設との綿密な連携により医療と介護の融合を心がけ、地域に根ざした施設を目指しています。

理事長挨拶

Greeting

  • 医療法人社団福寿会鷲見医院 理事長 鷲見隆仁(すみ たかひと)
    医療法人社団福寿会鷲見医院
  • 初めまして。医療法人社団福寿会鷲見医院 理事長 鷲見隆仁(すみ たかひと)です。当法人は、私の祖父である初代理事長鷲見正人が昭和17年に設立し、私で3代目になります。そして今日まで長年にわたり、千葉市蘇我地区の地域医療を担ってまいりました。
    しかし、近年日本の社会構造もかわり、世界に類を見ない超高齢化社会に突入しようとしています。令和3年(2021年)10月では65歳以上の人口は3,621万人となり、高齢化率は日本の人口約28.9%(2022年内閣府より)となり、日本の人口の約3.3人に1人が65歳以上を占めます。もちろん、このままでは千葉市におきましても少子高齢化で若者は減少し、高齢者の方が多い社会に突き進んでいきます。そして、我々の生活において医療、福祉は大切な問題です。また、高齢化に伴い様々な問題も起きてきます。たとえば、介護難民、独居老人、老老介護等の問題。また突然の骨折や脳梗塞等など、予想もしていなかったご家族の介護に向き合わなければいけない場面に我々も含めまして、いつ何時直面するかわかりません。そして、介護者を抱えるご家族の様々なご負担が増えてきているのが現実です。私は、いかに介護を必要としているご家族様やご本人様の負担を減らし、安全に元気に楽しく生活して頂ける環境が整えられるのか常に考え、現在の法人の体制を整えました。それは、当法人の運営するサービス付き高齢者住宅に住んでいただければわかります。病院でもなく、施設でもない。普通の高齢者住宅や施設にはない医療、介護の両方を受けられる新しい自由な住まいです。1階に内科、歯科医院があり、かかりつけ医として常に利用者様の体調を管理いたします。訪問介護の介護職員が24時間体制で常駐し、様々な介護サービスを提供します。日中帯は、医師や歯科医師や看護師、デイサービスの職員、高齢者住宅の看護師、医療スタッフ、介護スタッフが常駐し様々なサービス、ご相談にのることが可能です。夜間帯にも何かあった時には内科の医師にいつでも連絡できるドクターコールにより、利用者様の安全面を常に最大限カバー致しております。
    是非、この機会にご検討いただけたら幸いです。

<地域での役職・所属団体・学会等>

  • ◆千葉市歯科医師会 高齢者歯科委員、障がい者歯科委員を歴任
    現在は、地域歯科保健委員
  • ◆学校歯科医
    ・宮崎小学校・大巌寺小学校
  • ◆歯科園医
    ・九重幼稚園・今井保育園・葵幼稚園・童夢ガーデン・ナースリーアフヒ
    ・キートスチャイルドケア・アベニールガーデン蘇我
  • ◆産業歯科医

法人概要

Company Overview

医療法人社団 福寿会

理事長
鷲見 隆仁
法人設立
昭和17年(1942年)11月6日
事業内容
鷲見医院 内科 歯科の運営
鷲見メディカルケアホーム(サービス付き高齢者住宅の運営)
居宅介護支援所ひまわりの運営
訪問介護ひまわりの運営
障害サービス事業所の運営
ディサービスひまわりの運営
パーソナルトレーニングジムの運営
法人の理念
常に患者様、利用者様を第一に考え、最善の医療、
福祉の提供を心掛け、地域に貢献する法人であることを目指します。

沿革

History

  • 初代理事長 鷲見正人

  • 初代理事長 鷲見正人

    初代理事長
    鷲見正人

    大正2年3月11日生まれ。父は漢学者で祖父柳太郎は山武郡鳴浜村長を務め、尾崎紅葉著の「多情多恨」の主人公鷲見柳之助のモデルであった。一方、母の実家は地方自治会施行後第3代の県議会議長林英一郎を出した。
    昭和5年県立東葛飾中学校(現 県立東葛飾高等学校)を卒業後、東京医学専門学校(現 東京医科大学)に入学、10年同校を卒業した。その後12年鉄道第一連隊、17年第60師団独立歩兵114大隊本部、20年小倉陸軍病院と3度軍医として応召した。その間17年から千葉市今井町(現千葉市中央区)に鷲見医院を開業。戦後、社団法人千葉市医師会理事・監事・議長、社団法人千葉県医師会代議員などを務める一方、社会福祉法人千葉市社会福祉協議会評議員、千葉市教育委員会に就いた。このうち教育委員会は当時公選で昭和23年、27年の2回連続当選し、30年には教育委員長も務めている。36年には千葉市教育委員会から教育功労者として表彰された。昭和34年4月、県議会議員選挙の千葉市選挙区において立候補し、以来46年まで連続3期在職した。その間、衛生民生・教育警察・総務企画・社会衛生・土木の各常任委員会委員を歴任。40年には交通対策特別委員会副委員長となり、42年5月から43年12月まで監査委員を務めた。また千葉県がんセンターの設立に尽力した。県議会では、衛生・医療行政の充実を度々訴え、また教育・文化についても深い関心を示した。 昭和41年6月定例県議会では「千葉県の偉人の中には非常に優秀な人たちがいる。県庁の玄関に肖像画を飾るだけでなくその人となりを、青少年に教えることが必要。」と述べ、さらに県内の埋もれた偉人の発掘を主張した。

  • また同年2月定例県議会では埋蔵文化の保護に触れ、本県は埋蔵文化財の宝庫であるが、最近の工場進出、都市計画等により逐次破壊されている現状を憂え、古代文化財を保護する意味から教育庁社会教育課文化財係の充実強化を要請した。
    38年県議会議員当選の抱負として「県の公害防止条例が正しく運営されるようよく監視する」と語ったように、医師の立場から保健福祉対策を訴え、公害からいのちとくらしを守る千葉県民協議会会長も務めた。趣味は、小学校時代から陸上競技の選手で、バレーボール・軟式テニスをよくし、千葉市バレーボール協会及び千葉市軟式庭球協会の設立に参画し会長となった。また、『家庭婦人医学』『農村医学の諸問題』『社会保障論』など、著者論文は医学評論から時事問題まで多数あった。昭和60年11月3日、長年の地方自治に関する功績が認められ、勲五等双光旭日章を受章した。同月15日72歳で死去した。従六位が追贈された。

  • 昭和55年蘇我小学校に正門を寄贈した際の写真

    昭和55年蘇我小学校に正門を寄贈した際の写真

2代目理事長

2代目理事長 
故 鷲見 隆世

昭和52年鷲見医院にて歯科を開業 初代歯科院長として内科、歯科の経営及び歯科医療に従事。また、長年において地元の今井保育園園医や蘇我小学校等の歯科園医を務める。